2014年に増田レポートが発表され、523の自治体が消滅の危機にあるという衝撃を突き付けられた。
ただ、都会で暮らしているとその危機感を感じることは少ない。(けっして都会ではないが)関東で暮らしている私は、きっかけがなければ地方がどんな状況かといったことを気にすることもなかっただろう。
これは昨年訪れた徳島県のある集落の様子だ。かつては100軒近くあったのに、今やわずか8軒が残っているだけで、一番の若手が70歳を超えている。
こうしている間にも、この集落の消滅の危機は刻一刻と迫っている。時の流れは残酷だ。どんなに願ったところで、後戻りも、止めることもできないのだから。
こうしたリアルを目の当たりにしたときに、「地方を元気にしよう!」と思ったところで、いったい何ができるのか。
衰退する地方という大きな社会問題に対して、私たちは、ひとつのツールとして「農林漁家民泊」を選んだ。
今、何かと話題にのぼる「ホテルの代替としての」民泊とはちょっと違い、農家の生活を体験する、農村での暮らしを体験することを目的とした滞在手法だ。
イタリアでは農家の納屋に泊まらせてもらいながら、農村でのんびり過ごす「アグリツーリズモ」という旅のスタイルが定着しているが、まさにそれである。
日本のツーリズムはまだまだ成熟しているとは言えず、そうした旅のスタイルがメジャーになるのは、もう少し時間がかかるだろうが、その火種は水面下で確実に広がっている。
ここでいう水面下とは「修学旅行」のことだ。1998年に長野県飯田市で日本初の農家民泊修学旅行が始まり、2004年ころから爆発的に増えた。沖縄県の伊江島は今、年間6万名の修学旅行生を受け入れている。すでに農家民泊の旅を経験し、その楽しみを知る人がどんどん増えている。
農家民泊は、従来の観光とは全く違うものだと考えている。多大な恩恵を与えてくれる理由を3つあげてみた。
1.旅の醍醐味である「本物」に触れることができる
(私だけかもしれないが)旅の一番の楽しみは、なんといってもその土地の人と交わり、その土地のライフスタイルに溶け込むことである。
観光用に作られたレストランで味わう食事には何の意味も見出せないが、その土地でとれた素材、その土地に伝わる料理を味わうことができたとき、例えそれが口に合わなかったとしても最高の気分になれる。
何故か。作られた感動はもう東京で十分に味わい尽くしている。旅に求めているものは、オルタナティブな何かなのだ。
人間の「営み」を知るには、民泊以上のものはない。農家民泊は、その土地の「ありのまま」を体感できる最高の機会なのである。
2.農家・漁師の生きがいや誇りを取り戻すことができる
地方で暮らす農家や漁師と話をしていると、自分たちの土地や仕事を実は最高だと思っているにも関わらず、それを人にアピールすることが苦手な人が多いように感じる。
苦手というよりも、日本人の心の奥底に流れる謙譲の美徳を体現しているのである。
ただ、その謙譲の美徳は、時として都会へのコンプレックスに変わったり、自分の子供が跡を継がないことを諦める気持ちに変わったりしてしまっている。
「わざわざこんなところまで来てくれた」
「こんなものが珍しいの?ここでは当たり前のことなのに」
「すごく満足して帰ってくれた。そして、また来たいと言ってくれている」
そんな積み重ねが、これまで全然注目を浴びてこなかった地方で暮らす人の生きがいと誇りを取り戻すのだ。
3.地方にダイレクトにお金が落ちる
観光における経済的な概念に「脱漏」という言葉がある。観光客がたくさん来るといったところで、旅行者は「外資のホテル」に泊まって、遠方から取り寄せられた食材で作られた食事をあたかもその地のモノと思い込みながら食べている。ふたを開けてみれば、地方にほとんどお金が落ちていないのである。
ところが、農家民泊は、地元のじいちゃんばあちゃんに直接お金が入る。お金が入ったばあちゃんはインターネット通販じゃなく、地元の商店でお金を使う。そして地域でぐるぐると経済が循環する。農家民泊に観光公害という言葉は無縁だ。
農家民泊は、旅行者、農家漁家、地域に多大な恩恵を与えてくれる、三方よしのビジネスなのだ。
都市と農村がつながり、食の生産者と消費者がつながり、人間と自然がつながる。
日本におけるアグリツーリズモの定着に貢献できれば幸いである。